PROJECT STORY
プロジェクトストーリー
流山おおたかの森
賑わいの溢れるまちを、ゼロから共に創る

流山おおたかの森エリア開発プロジェクト
全国の市町村の中で「人口増加率6年連続日本一」となった千葉県流山市。その原動力のひとつと言えるのが、流山おおたかの森S・Cだ。
つくばエクスプレス線「流山おおたかの森駅」の新設に伴い開業した同SC。地域に寄り添った地道な働きかけで、行政・地域・鉄道会社など、多くの関係者を巻き込み、駅前にエリア開発を展開。開業後も、環境変化に合わせて新たな機能や取り組みを導入していくことで、より豊かな日常の提供を目指してきた。まっさらな土地を、街に賑わいをもたらす駅前に生まれ変わらせたのは、時間をかけ、地域に寄り添い続ける姿勢。そして、行政や鉄道会社との共創によるまちづくりだった。
プロフィール
※所属などは取材時点(2024年3月)の情報です
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ファシリティマネジメント部
設備投資管理グループマネージャー吉田 孝史
2002年入社
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SC事業本部
千葉事業部 流山管理グループ山田 圭太
2014年入社
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事業創造本部
広域事業部油谷 瞳
2018年入社
プロジェクト紹介
PHASE 01
何もないところに街をつくる
「当時、ここまでの発展は全く想像できませんでした」
開発プロジェクトの立ち上げ当時、入社4年目だった吉田は振り返る。2005年、つくばエクスプレスの開通に合わせ、新駅・流山おおたかの森駅が設置される。そこで、新しい街の核となる商業施設計画の事業者を公募により選定するとの情報を得て、東神開発も事業提案に参加を決めた。
「商圏分析的には近隣の街からもほどよい距離があり、十分に発展性を見込んでいました。ですが、当時の計画地周辺はまだ雑木林が生い茂っているような状態。更に隣駅には大型商業施設が開業するという情報もあり、『ここにテナントを集められるのだろうか』と不安の声もありました。最終的な事業者決定は入札でしたが、一番札獲得の電話が入ったときの雰囲気も、決してガッツポーズがでるようなものではなく『高い壁への挑戦が本当に始まるんだ』という緊張に満ちていました」

その壁に挑むため、テナント誘致に尽力するメンバーたち。髙島屋から初の食料品に特化した「タカシマヤ フードメゾン おおたかの森店」の出店や、玉川で30年以上にわたり貫いてきた『共存共栄』のスタイルも評価され、徐々に有力なテナントの出店が決まり始める。テナント設計や工事計画の調整担当者だった吉田も135店舗分の調整に奔走し、2007年3月12日、流山おおたかの森S・Cは開業した。
様々な人々の苦労の末、漕ぎ着けた開業。しかしこれは長い開発の始まりにすぎなかった。
緑に溢れ、住み良い流山市。小さな子どもを持つファミリー層をターゲットに、東神開発が目指していたのは、買い物のみならず、SC周辺への滞在そのものを楽しませることを目的とした「街づくり型開発」だった。その実現に向け、駅周辺に複数施設の開発が始まる。
開発を進めるにあたっては、区画整理事業の兼ね合いでなかなか土地利用の許可自体が下りないエリアもあった。その間にも地権者勉強会へ参加して東神開発が目指すまちづくりを丁寧に説明するなど、努力を惜しまなかった。
「話を聞いて『この会社なら任せられる』と地権者の方からお声がけいただいたこともありました」
こうした地道な取り組みが実を結び、ハナミズキテラス(2013年)、ANNEX1(2014年)、こもれびテラス(2015年)と続けて、新たな施設の開業を迎えていく。

PHASE 02
未来を見据えた地道な開発が、パートナーを動かす
流山の開発における大きなターニングポイントになったのが、2018年に開業したこかげテラスだ。駅高架下の倉庫として使用されていた空間を商業施設として開発した場所だが、この施設の開発は、単に高架下に新たにテナントが入るということ以上の意味を持っていた。
「周辺開発を継続していくうえでは、駅前全体に訪れる人を増やしていくことが必要でした。駅の西側と南側の接続点である高架下の開発は、新たな人の流れをつくり、駅前全体に賑わいを生み出すために必要不可欠だったんです。ただ、検討を始めた2011年当時、高架下の権利を持つ鉄道会社さんの判断は『駅前の人の流れがまだ少ない中で、施設を新たに開業するのは時期尚早』というものでした。」

もう一つ、議論の種となっていたのが、こかげテラスに直結する改札の新設だった。
「施設に合わせた改札の新設は鉄道会社にとっても初めての試みで、駅舎の構造に手を入れるという点でも、かなり思い切った提案でした。ですが、元々人通りの少なかった高架下に人の流れを生むには、直接駅から人が流れ込む仕組みをつくることは外せなかったんです。」
鉄道会社とは何度も協議を行い、ときには意見が対立する場面もあった。しかし、開業からこれまで進めてきたこと、街づくりの将来ビジョンについても説明を行い、対話を積み重ねる中で、次第に両者の「街をより良くしていきたい」という思いの重なりが見えてきた。そして、遂に計画が動き出す。
「ここまで向き合ってくれる東神開発なら、と事業者に選定していただいたんです。計画検討からこかげテラスオープンまでの間には、実に8年もの月日が経っていました。それまで分断されていた駅の西と南が容易に行き来できるようになり、それまで通り抜けるだけだった駅前広場に、人が集まる様子を見たときの感慨深さは、今も忘れることができません」

PHASE 03
人に寄り添い、「らしさ」を生み出す
流山の地で新たな施設が次々と完成していく中、2021年、当時入社3年目の技術担当・油谷にも挑戦のチャンスが巡ってきた。
「当時すでにいくつもの施設があり、新たに3つの施設が仲間入りする上で、お客様がより快適に施設間を回遊できるよう、現在地や目的地を示す『サイン』の整理は喫緊の課題でした」
そこで、施設ごとに色分けを行い、要所ごとにそれを反映した壁面のサイン、天井からの吊り看板、床張りのマップなどを設置したほか、デジタルサイネージを増設して、常に正確でわかりやすい案内の実現を目指した。
「様々な手法を組み合わせたことで、迷われているお客様を案内する場面も減り、お客様にもテナントスタッフの方々にも喜んでもらうことができました。サインには、その施設の特色が現れます。商業施設ならではの特徴となる部分を手掛けられたことが嬉しかったですね」

「都心から一番近い森のまち」を標榜する流山市。デジタルサイネージ設置においては、本館の顔とも言えるメインエントランスに大型モニターの設置を提案。木目調の装飾や木漏れ日のイメージグラフィックなどをつけたことで、利便性の向上のみならず、施設らしさ・街らしさの表現にもつなげた。こうした取り組みは、東神開発が得意とする、街の特徴を反映した施設づくりの好例と言える。
同時期は、新たな施設FLAPSの開業を控え、バックヤードの準備の最中でもあった。油谷は、テナントスタッフが利用する従業員休憩室の内装づくりも担うことに。コロナ禍という世相も反映し、「ひとりで落ち着いて休憩できる空間」をコンセプトに、快適な一人席を多く設けたプランを提案した。さらに内装カラーを明るいパステル調にし、ペンダントライトで空間を演出した。その裏にあった想いを、油谷はこう語る。
「従来の従業員エリアは、お客様が訪れる施設内とは異なりシンプルな作りでした。ですが、折角の新しい施設なので、働く人が利用する環境もより上質感のあるものにしたいと考えて提案し、無事実現できることになりました」
施設一つひとつにこだわりを込めながら、街づくりは佳境を迎えていく。

PHASE 04
時代の変化を読みながら、街の伴走者になる
2022年のANNEX2の開業で、2005年に始まった流山おおたかの森の開発プロジェクトは予定していた開発のすべてを終了。大きな区切りを迎えることとなった。
しかし、施設は開発中の時間よりも、運営していく時間の方がはるかに長い。時代や利用者のニーズの変化に合わせ、施設も進化していく必要がある。それを実感しているのが、ANNEX2開業直前に着任した山田圭太だった。
「私が着任した2022年は、ちょうど世の中でもSDGsの気運が高まりだした頃。当社も、太陽光発電パネルやフードロス削減自動販売機、EV充電器の設置、館内における電動車イスの貸し出しなど、さまざまな新しい検討を始めており、その実証実験の場の一つとして流山おおたかの森S・Cも選定されるようになってきました」

開発から運営まで、一気通貫で手がける姿勢は、時代の流れに合わせた変化を生み出す一方で、不変の信頼を生み出すこともできる。
ANNEX2と同時にオープンした高架下の商業空間、GREENPATHが立地するのは、元々駐輪場があった場所だった。こかげテラス同様、周りの施設との間を回遊し、街を往来するためのハブとなりうる空間だったが、公共施設である駐輪場を一企業が簡単に移動させることはできない。そこで代替として、2021年にオープンしたアゼリアテラスに一部の駐輪場を移動させる提案を行った。
「こういった行政を巻き込んだ提案は、最初の頃だったら交渉すらさせてもらえなかった可能性があります。担当者が流山に向き合い続け、時間を掛けてしっかりと信頼関係を築いてきたからこそ実現することができた、東神開発らしい取り組みだといえます」
行政を巻き込んだ取り組みは、それぞれの施設に留まらない。2023年、流山市と東神開発は包括連携協定を結び、まちづくり・子育て支援・災害対応などの分野において、今後も相互に連携しながら、街の活性化に向けて取り組んでいくことを定めた。
吉田は、人で溢れる駅前広場を眺めながら、思いを馳せる。
「私たちはこの光景を目指して開発を進めてきた、といっても過言ではありません。一筋縄ではいかないこともありましたが、一企業では出来ないことが、仲間が増えたことで出来たケースもたくさんあります。『想いを丁寧に伝えていく』ことがいかに大切かを実感しますね」
千葉を地元に持つ油谷は、その賑わいに、一層の実感があるという。
「地元の友人から『流山は変わったよね』と言われることがあって。改めて、私たちが取り組んできたことが誇りに思えました」
これからの流山の街に対する想いを、山田はこう語る。
「流山を住みたい街でなく、『住み続けたい街』といわれるようにしたい。そのためにも、住んでいる方、訪れる方、地域全体に対して、誠実な仕事を続けていきたい。やるべきこと、やりたいことはまだたくさんありますね」
その言葉通り、東神開発の取り組みは、コミュニティ形成など“集う場”としての価値向上、そして沿線の賑わいを増す、行政との新たな連携事業の模索へとさらに繋がっていく。長い時間をかけ街に伴走をつづける東神開発の、流山でのまちづくりは、まだまだ道の途中だ。
